Genius Japan
[インタビュー] J-Popのスーパースター米津玄師が語る、初のアメリカ公演、芸術的ルーツ、そしてなぜ今も自分でカバーアートを描くのか

取材: Isabella Wandermurem @bellawanderr | 文: Genius Japan | 2025年5月5日

原文:"J-Pop Superstar Kenshi Yonezu on His First U.S. Shows, His Artistic Roots & Why He Still Draws His Own Covers"完璧なポップよりも内面の表現にこだわるシンガーソングライター

4月4日、米津玄師の初となるアメリカ公演がニューヨークで行われた。それは「JUNK」ワールドツアーの単なる一公演ではなく、限界を打破する芸術性、感情の繊細さ、そして揺るぎないルーツとの深い繋がりが特徴的な、米津のキャリアにおける新たな節目となる出来事だった。
YouTubeでの再生回数は50億回近く、日本のチャートでは記録破りの記録を叩き出し、世界中でファン層を拡大している米津は、日本が誇る最も重要なアーティストの一人となっている。ニューヨークとロサンゼルスでの完売公演からわずか数日後、Geniusに向けて話してくれた米津は、驚くほど地に足のついた姿勢を保っていることが明らかだった。

国際的な活躍が拡大する中でも、米津は主に日本語で歌い続けている。「東アジアでは以前公演したことがあるが、西洋、つまりロンドン、パリ、そして今度はアメリカで公演するのは今回が初めてです」と米津は語る。 「こんなにたくさんの人が自分の音楽を待っていてくれることに、本当に感動しました。そして遠く離れた場所でも、自分の音楽がこんなにも深く響くのだと実感しました」

その共感は、米津の音楽の進化に由来しているところもあるのかもしれない。2024年にリリースされた最新アルバム『LOST CORNER』で、米津は非常にパーソナルな創作過程に立ち返っている。
米津玄師 6th Album「LOST CORNER」クロスフェード
米津は2009年にハチ名義でボーカロイド楽曲をリリースし、音楽活動を開始した。アーティストとしてのルーツは、ボーカロイド文化という閉鎖的な世界に遡る。ボーカロイド文化とは、クリエイターが自ら歌う代わりに音声合成ソフトウェアを使用する、インターネット発の独特な音楽分野である。米津は完全にソロで活動し、作曲からプログラミングまですべてを手掛け、楽曲をゼロから作り上げてきた。

2012年にアルバム『diorama』 で本名でのデビューを果たし、以来、J-Pop界を牽引する存在の一人となっている。2024年にリリースされた『LOST CORNER』は、2020年に高い評価を得た『STRAY SHEEP』 に続く、6枚目のスタジオアルバムとなる。

「ある時期から、自分の声で歌い始め、アレンジャーやプロデューサーとコラボレーションするようになりました」と米津は語る。「でも『LOST CORNER』では、コンピューターの前に一人で座り、楽器を自分で演奏し、歌い、プログラミングもすべて自分でやっていた、初期の頃の音楽制作方法に戻りたいという強い衝動に駆られました。だから、このアルバムは新しい変化のように聞こえるかもしれませんが、同時に自分のルーツへの回帰でもあります。初めて音楽を始めた頃の気持ちを思い出すための意識的な試みなのです」

米津のサウンドは簡単に分類できず、J-Pop、ロック、R&Bの境界線を曖昧にしていることが多い。しかし、その折衷主義は必ずしも意図的なものではない。

「自分は日本で生まれ育ち、J-Popが大好きでした」と米津は語る。 「ずっと憧れていました。同時に、洋楽、いわゆる日本で言うところの『外国音楽』も大好きでした。でも、最終的には日本の音楽を深く愛し、誇りにしてきました。これからもその枠組みの中で音楽を作り続けたいと思っています」
宮﨑駿監督「君たちはどう生きるか」主題歌
米津玄師 - 地球儀
「ロックやR&Bなど、色々なものから影響を受けていると思いますが、ジャンルを意識することはあまりないんです。『この曲はロックっぽい感じにしたい』とか『ヒップホップのテイストを入れたい』とか、そういう感じですね。あまり自分を縛ったりはしません。その時、自分が表現したいことをそのまま表現するんです。結果的に、J-Popというジャンルに自然と溶け込む作品になっていると思います」

物語を語る才能は、米津の芸術性における核を成している。それは、米津がミュージシャンになるずっと前から培われてきた本能だ。実際のところ、最初の芸術への探求は音楽ではなかった。米津はもともと漫画家になり、イラストを通して物語を語ることを夢見ていたのだ。

「昔から物語を作るのが好きで、それが自分の音楽にも表れていると思います」と米津は言う。「最近では、ドラマ、アニメ、映画の主題歌をたくさん作ってきたので、物語そのものからインスピレーションを得ることが多いんです。その過程で、純粋に自己観察的な曲というよりも、より情景描写や視覚的な曲を書くようになるのだと思います。それが音楽的な個性の大きな部分を占めているのかもしれません」

その視覚的な感受性は歌詞だけにとどまらない。米津は自身の作品のカバーアートを自ら手掛けている。幼い頃からの絵に対する情熱が、今も創作の源になっている。
「ミュージシャンになることを選んだ今でも、かつて漫画家になることを夢見ていた頃のマインドは、私の中に深く息づいています」と米津は言う。「もちろん、自分より優れたイラストレーターはたくさんいますが、自分の楽曲のために自分がビジュアルを担うことは特別な意味を持ちますし、その繋がりをダイレクトに表現したいと思っています」

ライブパフォーマンスに関しては、米津はファンに単なる良いショーを届ける以上のものを目指したいと考えている。
Kenshi Yonezu - Live from 2019 Tour / When The Spine Becomes Opal
「自分の想いをパフォーマンスに込められたらいいなと思っています」と米津は語る。「世界中のファンが待っていてくれたことが、自分にとっての大きな喜びです。日本と同じステージ演出でライブができたらよかったのですが、今回は様々な事情で叶いませんでした。もし次の機会があるならば、今回お見せできなかったことをすべてを持って戻って来れるといいですね」

K-Popが完成度の高いダンスと戦略的なアイドル運営で世界的な成功を収めている一方で、米津玄師は海外における日本音楽の中で、ポップの完成度に頼るのではなく、独自の視点と内面性に基づいた別の道を切り拓いている存在だ。米津は自身の作品を通して、自身の芸術性を定義づける言語、美学、そしてサウンドの選択を損なうことなく、独自の方法で日本文化を国際的な舞台へと導いている。

また、かつては不動と思われていた文化的、芸術的な境界線を静かに打ち破っていることも特筆すべき米津の功績だ。米津の成功は、単に公演数や完売公演の会場数だけによるものではない。日本人アーティストが英語歌詞の楽曲に転向することや、主流のトレンドに従うことなく、世界で成功できることを証明したのだ。米津は理解されるために自らの本質を薄めたりはしない。むしろ、音楽、そして観客が米津の方へと歩み寄ってくれることを信じている。

今後を見据えても、米津が目指すものは飾らず自然体で人間らしさに満ちている。

「今は、これをどれだけ長く続けられるかだけを考えています」と米津は言う。 「続けることが最大の目標です。今回のワールドツアーを通して、海外でどれだけの人が自分の音楽を聴いてくれているのか、そしてどれだけ情熱的に、そして温かく待ち望んでくれていたのかを知り、本当に感動しました。だから今後は、もっと海外の人たちを意識して考えながら創作活動をしていきたい。そういう方向へ進んでいきたいです。」

しかし、世界中から注目されるようになっても、米津玄師の創作の軸は変わらず自分の原点に寄り添っている。米津の音楽はかつてないほど遠くまで届けられているかもしれないが、その感情の核となる、むき出しの誠実さ、想像力豊かな精神、そして深くパーソナルな物語は、すべてが始まった場所、孤独な部屋、静かな心、そして繋がりを求める気持ちに根ざしている。

音、物語、そして魂が溶け合う静かな激しさこそが、米津玄師をインターネットでのトレンドから時代を象徴する存在へと押し上げたのだ。そして、『LOST CORNER』が示すように、米津はまだ次の章を描き始めたばかりである。
LOST CORNER
写真提供:Genius・REISSUE RECORDS | 無断転載はご遠慮ください米津玄師とREISSUE RECORDS公式SNSのフォローも、お忘れなく!

米津玄師
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